手術日+409日目 2025/4/12(土)

叔父の葬儀

12時から栃木県那須町の教会で叔父の葬儀があるため, 10時前に家を出発しました.

叔父の葬儀は那須の教会で行われました.

叔父はカトリックのクリスチャンだったため, 教会での葬儀でした. 因みに私の大叔母(祖父の妹)は東京都中野区江古田の修道院のシスターでした. その影響で祖母と叔父もクリスチャンでした. 現在, 祖母は新潟県上越(旧高田)市の教会で眠っています. 叔父も祖母と同じ墓所に行く事になったと聞きました.

12時から葬儀が始まりました. 教会での葬儀は, 椅子に腰掛けて, 司祭様によるお言葉を聞いて, 合間に歌を歌います. 棺の中の叔父の顔を見て, お花を供えましたが, 安らかな寝顔のようでした.

1時間ほどで葬儀が終わり, 火葬場へクルマで移動しました. 途中の道には, 桜があちらこちらで咲いていました.

火葬の間, お弁当を食べながら, 母, 新潟県妙高市の叔父さんと妙高市の『ホテルアルペンブリック』さんから兵庫県神戸市の有馬温泉の旅館に転職した従弟, 長野県白馬村のホテルに転職した従妹, 弟達と話しました. 昔,カザマスキーでスキーを造っていた叔父さんからは, 「オレが元気なうちに妙高にスキーに来い」といつものように誘われました.

15時過ぎに叔父さんの遺骨を骨壺に納めました. 自分は, 上腕骨遠位端を担当しました.

15時半に火葬場の駐車場で再会を誓って解散しました. 母は, 弟が仙台の実家に連れて行ってくれることになりました.

鹿の湯

那須に来たときには, 温泉に入ることにしています. 今回も帰りに温泉に寄ることにしました.

妻が行ったことがないので, 『鹿の湯』さんに行くことにしました. 火葬場からは, クルマで20分くらいの距離でした. 那須は観光シーズンに入ったようで, 他県ナンバーのクルマがたくさん走っていました.

途中, 『鹿の湯』さんのお湯を引いている湯本温泉街の前を通りましたが, 閉館している宿が多くて, 驚きました.

鹿野の湯の入り口.

16時過ぎに鹿の湯に着きました. ここは, 1,390年前に開湯したという栃木県では最古の温泉になります.

受付で大人2人分1,000円を払って, 妻と二人で喪服のまま入りました. ガーメントバッグを持ってきていたので, 脱衣所で脱いだ礼服をバッグにしまって, 着替えの服を出して, 脱衣籠にいれました.

男湯の湯船は8つあって, お湯の温度が41 ℃, 42 ℃, 43 ℃, 44 ℃, 46℃, 48 ℃と湯船毎に異なっています. お客さんは, 20人あまりくらいでした. かぶり湯をした後に, まずは41 ℃の湯船に入りましたが, ややぬるめでした.

5分ほど浸かった後, 次は46 ℃の湯船に移動しました. 手を入れると, 行けそうだったので入ることにしました. 先客が1人入っていたので, 「入ります」と声を掛けてから, お湯を揺らさないようにそっと先客の対角のところから入りました. 丁度, お湯の注ぎ口がある角だったので, 熱かったのですが, なんとか肩まで入って, 60数えて出ました. 体感温度は, 野沢温泉大湯の熱湯より少し低いくらいに感じました.

体を少し冷ました後に, 隣の48 ℃の湯船に手を入れてみました. こちらも行けそうだったので, 入ることにしました. 48 ℃の湯船には誰も入っていなかったので, お湯の注ぎ口の対面から入りました. お湯を揺らすと熱いので, そっと両脚を入れましたが, 皮膚がビリビリと痛く, 脳内に火傷アラームが鳴りましたが, 意を決して, 肩まで浸かりました. しかし, やはり熱くて, 20数えて上がりました. 皮膚が真っ赤になり, 風呂から出た後も一番長時間浸かっていた両脚の皮膚がヒリヒリと痛く感じました. こちらは, 野沢温泉大湯の熱湯よりも熱く感じました.

体を拭いて, 着替えた後, 廊下に出て, 妻が出てくるのを待ちました. 廊下には, 芸能人の色紙が沢山掲示されていました.

間もなく, 妻も出てきました. 知らなかったのですが, 女性の浴場は, 湯船は6つで, 最高温度は46 ℃だったそうです. 妻は, 頑張って46 ℃の湯船に入ったけど, 熱くてすぐ出たとのことでした.

殺生石

軽い火傷を負った皮膚の湯冷ましのために, すぐそばの殺生石を見に行くことにしました. 17時前でしたが, 駐車場は8割くらいの入りでした.

殺生石に行く途中の千体地蔵.

殺生石までの遊歩道を歩くと, 左手に千体地蔵がありました.

殺生石は割れていて, 黄色っぽい割面が見えました.
標縄が割れて落ちた石にも掛けられていました.

駐車場から200 m位歩いて, 殺生石に着きました. 2年前に割れたと聞いていましたが, 割れてから見に来たのは初めてでした. 殺生石が割れた当時は, 九尾のキツネの祟りや不吉なことが起こる前兆など, いろいろと取り沙汰されましたが その後, 特に問題は起こっていないようです. 殺生石の割れた割面が黄色く見えました. 割れて下に落ちた方の石にも標縄が掛けられていました.

ヒンヤリとした空気で脚の火照りも収まりました. 17時半前に, 帰路に就きました.

帰宅後に, この記事を書くために殺生石についてWikipediaを読んでいたところ, 九尾のキツネが姿を変えた殺生石が全国に散らばり, それが高田という地名と関連があるということを知りました.

そのうちの一つが新潟県上越市(旧高田市)であるという記述を見つけて, 那須で亡くなった叔父さんの遺骨が, 祖母の眠る高田の教会の墓所に運ばれるという予定との間に因縁めいたものを感じました.

DVD化されたビデオ

帰宅すると, 先日, 『富士フイルム』さんに送ったVHSビデオとミニDVが, DVDにダビングされて到着していました. 見積もりでは3カ月かかるとのことでしたが, 3週間ほどでした.

早速, 箱を開けて, 中を確認しました. ビデオカセットとDVDがそれぞれ厳重に梱包されていて, 丁寧な仕事ぶりでした.

まずは, 3本のVHSビデオに入っていた映像を確認しました. VHSビデオの中身は, 大学の硬式テニス部の追い出しコンパ, 結婚式, 新婚旅行で訪れたニュージーランドのコロネットピークスキー場でのスキーでした. 画質は, 当時の粗いままではありましたが. ちゃんと見ることができました.

結婚してから初めて再生した結婚式のビデオには, 父, 今日葬儀を行った叔父さん, 仲人を務めていただいた教授などの故人が映っていました. 若い頃の自分を見ていて, 当時の感動が蘇りました.

新婚旅行のスキービデオでは, 妻がプルークボーゲンで滑っていました. 途中, 撮影クルーからインタビューされているのですが, ずっとムスッとしています. 一緒に見ていた妻に, 自分の希望だけで南半球スキーに連れて行ったのは, 申し訳なかったと謝りました.

しかし, ビデオを見ていて, もう一度, クイーンズタウンに滞在して, スキーを滑りたいと考えるようになりました.

ツェルマットに行ってスキーを滑るという目標を達成してしまい, 目標がなくなってしまっていましたが, 次の目標が決まりました.

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