マラソン大会の救護
今朝は, 爽やかな五月晴れでした.
地元のマラソン大会の救護班としてコース途中の救護所で働くために, 7時半に家を出ました.
救護所が設置される体育館に到着後, 事務所の職員の方から『Doctor/医師』と書かれたビブスとAEDを受け取って, 救護テントに運びました. すでに看護師さん, ボランティアスタッフが揃っていて, それぞれの持ち場で, 荷物を広げたり, 給水所のテーブルやコップや補給食のお菓子などを並べたりしていました.
救護所の医師は, 私と内科の開業医(以前, 医師会の理事として一緒に仕事をしていた顔見知り)の先生との2人体制でした. 看護師さんのうちのお一方は, 私の後輩医師の奥様でした. 私のこどもと看護師さんのこどもさんが同じ高校で同級生でしたので, 妻とも知り合いの方でした. その他に, 無線機を持った救急担当の消防署員の方が, お一人いました.
予定通りに8時にスタートしたとの連絡が無線で入りました. 30分ほどで, 先頭のランナーが救護所前のコースを通過して, その後に次々にランナーが通過していきました. 救護テントから歩道に出て, 応援の拍手や声かけをしていたのですが, 陽射しが強くて, 腕が日焼けました.
ランナーのうち, 3人の方が救護所に来られました. ふくらはぎ(腓腹筋)の筋挫傷, 膝関節痛, 足関節捻挫と3人とも軽傷で, 歩けました. 私が診察して, 応急処置として湿布を貼りました. 心配していた熱中症の症状を訴えて来られた方はいらっしゃいませんでした.
ランナーの中に大学の同級生だった, 今は大学教授を見つけて, 応援の声を掛けました. 彼とも大会後に, 飲み会をする約束がありました.
10時前に後送車が通って, 救護所の仕事が終わりました. まだ, レースは続いていましたが, 私の詰めていた救護所の解散時点では, 転倒したランナーが2人と意識障害のランナーが1人いて, 救急車で搬送されたとのことでした.
同級生と飲み会
11時半に, 大会に参加していた, 大学のスキー部で一緒だった, 隣県で整形外科を開業している同級生と定食屋で落ち合って, ビールで乾杯した後, あとから来る2人(先日, 槌指で装具を着けた泌尿器科の開業医の同級生と救護所前の給水所で声を掛けた大学教授の同級生)と4人で入れるお店に移動することにしました. 「歩くとまだlimping(=跛行はこう)があるね」と指摘されました. やはり, 整形外科医から見ると, まだ脚を引きずっているのが判るようです.
日曜日に通しで営業している中華料理店に移動して, あとから来る2人に電話で場所を伝えました.
12時過ぎに大学の同級生だった4人が集合したところで改めて乾杯して, 完走した2人をねぎらった後, 近況を報告し合いました. 泌尿器科の開業医の同級生以外の2人とは, 昨年の大会後の飲み会以来だったので, 1年ぶりの再会でした. 中華惣菜をおつまみに, ビールと紹興酒をいただきました.
13時半に泌尿器科の開業医の同級生が帰ることになり, 「今年中に還暦飲み会をしよう」と再会を約束して見送った後に, ワインが飲める店に行こうということになって,イタリアンレストランに歩いて移動しました.
イタリアンレストランでは, 14時から15時半までの間に, 3人でワインのボトルを1本開けました.
整形外科開業医の同級生が, 「なじみの寿司店に行こう」と言い出して, 彼が住んでいる隣県のお寿司屋さんに行くことになりました. 行くかどうか迷ったのですが, 大分酔っ払っていたので, 結局押し切られて行くことになってしまい, 電車に乗って移動しました.
16時半にお目当てのお寿司屋さんに着くと, カウンター席は満席だったので, 空くまで別な店で飲みながら待とうということになって, また, イタリアンレストランに入って, 3人でワインを1本開けました.
17時半にお寿司屋さんから, 席が空きましたとの電話が来たので, 寿司店に戻って, 目的だった大将の前のカウンターに座って, お寿司をいただきました. ここでは, 日本酒をいただいたのですが, 大分酩酊していたので, よく憶えていません. おそらく, 1合徳利を3本くらい飲んだような気がします.
20時過ぎにお店を出て, 電車に乗って帰ってきましたが, 眠ってしまって乗り過ごさないように, 立って乗りました.
帰宅後, ソファで眠ってしまって, 朝方, ネコに起こされるまで, 寝続けました. というわけで, 記事を書く時間が無かったので, 今日の投稿になりました.
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