脛骨遠位端・内果骨折の瞬間
3回目の骨折は, 右脛骨内果・遠位端骨折でした.
2011年1月15日土曜日の午後に独りで近場のスキー場に出かけていました. 2010/11シーズンは, 2010年12月11日土曜日に初滑りができたのですが, 仕事が忙しくて, 中々スキー場に行けず, 初滑りから1カ月以上経ったこの日がやっとシーズンの3日目でした.
リフト終了時間である16時間際に, この日最後の1本として, コブの急斜面を下っていた途中で, 右スキーの先端がコブの腹に刺さって, ビンディングが外れずに, そのままスキー先を支点として前転して受傷しました.
右足が急に止まって, 上体が前回りするように回転する最中に, ブーツの中で踵が浮いて, 右足関節が過度に曲がっているのが分かり, 「あっ, このままだとすね(脛骨)か距骨(脛骨とともに足関節を構成する脛骨のすぐ下にある骨)を骨折しちゃう」という考えが, 頭を過りました.
その後, ビンディングが外れたので, 脛骨骨折は免れました. 転倒した後は, 右足首にしびれたような痛みがありました. 立ち上がったところ, これまでに経験したことがないような鋭い痛みが, 右足首から脳まで突き抜けるように走り, 右足には体重を掛けられませんでした. 外れたスキーを拾うために左脚だけで横滑りしながら移動して, 痛みをこらえながら板を履きました.
スキーパトロールに下ろしてもらおうかとも考えましたが, 当時の携帯電話は圏外でつながらず, 立ちすくんでいる私の脇を滑り降りていく人にパトロールへの連絡をお願いしようかどうか迷いましたが, 何とか片脚だけで滑って降りられそうだったので, 自力で降りることにしました.
リフトは運転を終えて, だんだんと暗くなり始まっていました. 転倒したところから, スキー場のベースまでは, あと200 mくらい残っていましたが, 横滑りしながら何とか降りきりました.
片脚で滑り降りた斜面では判りませんでしたが, ベースに降りてから, 平地を歩いて移動する時が大変でした. スキー板とポールを持って, 片脚でケンケンして行くわけにも行かず, 右足首の激痛をこらえながら, ポールを杖代わりに, 板を肩に担いで, 雪の上で右足を滑らすように引きずって少しずつ移動して, 何とか駐車場の車のところまでたどり着きました.
次の難関は, ブーツを脱ぐところでした. 右足首はズキズキと拍動性に痛み始めており, 少し動かすだけで, 脳に突き抜けるような痛みが出るため, 脱げるかどうか不安に駆られました. しかし, このままだとどんどん晴れていって, ブーツを破壊しないと脱げなくなると判断し, 駐車場でブーツを脱ぐことを決意しました.
当時はいていたブーツは, シェルのフレックスが120と硬かったのに加えて, 冷えてさらに硬くなっていて, 両手でシェルを広げることができませんでした. こいつは温めて柔らなくしないと脱げないと判断して, 車のエンジンを掛けた後, 車の後方に移動して, 排気ガスをブーツに当て続けて, 柔らかくなったところで痛みをこらえて, 何とか脱ぎました.
板とポールとブーツを車に積んで, 運転席に乗り込みました. アクセルとブレーキを踏もうとすると, また, 脳まで突き抜けるようなズキーンという痛みが走るため, 運転して帰れるかどうか, 不安になりました. しかし, 家人を呼んで来てもらうのも難しいと考え, 自分で運転して帰ることに決めました.
スキー場からの雪の下り坂を, 下りの慣性とエンジンブレーキとを使って下りきりました. 平地に下りてからの信号でのストップ, スタートは, アクセル操作とブレーキ操作がどうしても必要で, 足首を動かすたびに激痛におそわれましたが, 何とか走り切りました.
自宅に着いて, 妻に「多分, 右足首を骨折したので, 病院に連れて行って」とお願いして, スキーウエアのまま, 妻の車に乗り換えて, 当時の職場であった大学病院に連れて行ってもらいました.
救急外来で受付を済ませて, 夜勤の後輩医師にX線写真とCTを撮ってもらいました.
診断は, 右脛骨内果(内くるぶし)と脛骨遠位端(脛骨の足関節構成部分の前縁の陥没)の骨折でした. 足関節の前方では, 脛骨の関節面が2 mm程度陥没してしまいましたが, 骨折の状態から手術を行ったとしても骨折前の形状に戻すことは不可能と判断して, 保存療法を行うことにしました. 後輩医師にギプス副子で足関節を固定してもらい, 鎮痛薬を処方してもらって, 松葉杖を借りて, 帰宅しました.
骨折後の経過
骨折した翌日の1月16日日曜日は, 自宅でおとなしく療養しました.
毎週月曜日は, 大学病院で専門外来がありましたので, 休めませんでした. 骨折してから2日目の1月17日月曜日から6時半に出勤して, 朝7時から松葉杖をつきながら病棟回診をしました. ギプス副子で固定した右足を浮かせて, 大学の医局, 附属病院の病棟, 外来とを移動しましたが, やはり大変だったのと, 何時間もかかる手術を片脚で立ち続けて執刀することはできないと予想したので, 骨折した足関節に体重がかからないようにする装具(膝蓋腱部免荷装具 patella tendon bearing: PTB)を作ってもらうことにしました. 義肢装具会社の義肢装具士の方にお願いして, この日のうちに型採り(膝関節部に石膏のギプスを巻いて, 脚型をギプスに写す作業)をしていただいて, 超特急で作っていただきました. 1月20日木曜日には, あぶみ式荷重調整式のPTB装具を納品していただきました. この装具を着けると, 松葉杖は必要でしたが, 右足に体重を掛けない状態で, 楽に移動することができるようになりました. 立った状態で両手が使えるので, 手術も執刀できましたし, 他の病院への出張も電車を使って行けました.
また, 速く骨折を治すために, 超音波骨折治療を行うことにしました. 医療器機会社の営業の方に連絡して, 骨折してから3日目の1月18日火曜日に超音波骨折治療器(アクセラス, 日本シグマックス社)を届けていただきました. 午後に, 放射線部に出かけて, X線透視装置の台に独りで上がって, モニター画面を見ながら, 骨折した右足首の前方と内側の部分の皮膚に油性ペンで印を付けました. 帰宅後に早速, 超音波骨折治療を開始しました.
残念ながら, 当時のX線写真が手元に残っていないのですが, 骨折から3週間後の2月5日土曜日には, バイト先の病院でX線写真を撮って, 骨折部に変化がないのを確認してから, 安静を止めて, 足関節を自分で曲げたり, 伸ばしたり(足の甲を上げたり,下げたり)する運動を始めました.
骨折から4週間後の2月12日土曜日には, またバイト先の病院でX線写真を撮って, 骨折した骨がほぼつながったと判断したので, 足関節の内がえし, 外がえし運動とPTB装具を外して, 右足に軽く体重をかけ始めました.
骨折から6週間後の2月21日月曜日からは, PTB装具を使わずに, 松葉杖1本を使いながら, 右足に体重の半分以上の荷重をかけて歩き始めました.
骨折から7週間後の2月28日月曜日からは, 杖を使わずに, 右足に全体重をかけて歩き始めました.
骨折から8週間後の3月7日月曜日に勤務先の大学病院でX線写真を撮って, 骨折した部分が硬くなって, 治っているのを確認しました. 右足関節の痛みはなく, 動く範囲(可動域)は左足関節と同じくらいに回復しており, 後遺症も出ませんでした.
スキーシーズンは, もうあまり残っていませんでしたが, 3月下旬から春スキーに復帰するつもりでした.
しかし, 3月11日金曜日に東日本大震災が発生しました. 自宅も被災したのと, 以後, 震災に対応するための業務に忙殺されることになり, スキー場も早期に営業を終了してしまったため, 2010/11シーズンは, 滑走日数3日で終了となりました.
コメント