手術日+534日目 2025/8/15(金)(終戦の日)

午前の病院での仕事と骨盤脆弱性骨折の患者

昨晩も涼しく, エアコンなしで寝ました.

今朝は, 薄曇りでした. 気温は, 23 ℃くらいで大分凌ぎやすくなりました.

8時前に病棟に上がって, 昨日後輩医師の執刀で変形性膝関節症に対する脛骨近位骨切り術が行われた中年患者さんの経過を確認しました. 堪え難いほど痛いと訴えていらっしゃったので, 鎮痛薬としてロピオンを点滴で投与するように処方しました.

8時から独りで朝の病棟回診を行いました.

8時半から講堂に集まって, カンファランスを行いました. 今日は, 口腔外科の医師による歯科診療領域のDXについての講演がありました. 引き続き, 来週予定している手術のカンファランスを行いました.

9時前に外来に降りて, 35人の患者さんの診療を行いました. お盆期間中でしたが, 新規の患者さんが3人紹介されてこられました. そのうちのお一方は, 1カ月位前から脚の付け根が痛くなった後期高齢の患者さんでした.

股関節を動かすと痛みがありましたが, 片脚で立つことは可能でした. 恥骨を押すと痛みがあったので, 恥骨骨折を疑って, X線写真を撮像するようにオーダーしました.

引用元 : Rommens PM, Hofmann A. Comprehensive classification of fragility fractures of the pelvic ring: Recommendations for surgical treatment. Injury 2013. 44.

X線写真では異常が見つからなかったのですが, やはり骨折が疑われたので, CTを撮像することにしました. その結果, 仙骨と恥骨が骨折しており, 骨粗鬆症による骨盤の脆弱性骨折(Rommens分類 FFP Type IIc)と診断しました.

この患者さんは, 4年前に当科外来で骨粗鬆症と診断して, 薬を処方していましたが, 1年くらいの通院であとは来なくなってしまっていました. 改めて骨粗鬆症の継続的な治療が必要であることを説明しました.

12時過ぎから, 午後に手術を行う患者さんとそのご家族に手術の説明を行いました.

その後自分の部屋に戻ってランチを摂りました.

午後の病院での仕事

14時半から手術があったので, 手術部に移動しました. 大腿骨転子部骨折に対する手術でした. 1時間弱で予定通りに終了しました. 16時前に病棟に上がって, 患者さんのご家族に手術後のX線写真のコピーを渡して, 手術の経過と今後の予定について説明しました. 明日から, 立って歩く練習を始めていただく予定です.

通常だと, 金曜日の16時からは看護師, リハビリスタッフ, 社会福祉士, 管理栄養士と一緒に回診を行うのですが, 今日は手術があって遅くなったので, 多職種で行う回診は中止しました.

16時半から独りで夕方の病棟回診を行いました. 退院が多かったので, 入院患者さんは77人, 自分が主治医となっているのは35人に減りました.

17時過ぎに病院を出ました. 陽射しはあるものの, 暑さはあまり感じませんでした.

トレーニング

帰宅後に2時間エアロバイクを漕ぎました. 漕ぎ始めてから1時間10分を過ぎたあたりで, エネルギーが切れてきて, 脚が回らなくなったので, 補給食を摂りました. 20分位は変わりなかったのですが, その後はまた脚を回せるようになりました.

以上の経過を踏まえて, ロングライドでは, 走行開始後, 50分経過あたりで補給するように心がけることにしました.

大量に発汗したので, 運動中から夕食時に水500 mL, ノンアルコールビール1,050 mL, ビール 700 mLを摂取しました.

火垂るの墓

今晩は, 金曜ロードショーでアニメ映画『火垂るの墓』が放映されていました. 妻とこどもは気合いを入れて見ていました. 自分は, ブログを書きながら横目で見ていました.

映画が公開されたのは1988(昭和63)年で, 大学5年生でした. この年の秋に妻と出会いましたが, そのきっかけとなった妻の親友がこの映画を好きだと言っていたのを, よく憶えています.

初見は, 映画館ではなく, 公開後にビデオ化された後, レンタルビデオででした. 妻と泣きながら見たと記憶しています. それからは, 苦手になって, 今日までまともに見ないで過ごしてきました.

歳をとるといろいろとものの見方が変わります. 昔, 20歳代の頃に見た時には, 親を亡くした子供達の寄るべき処のなさ, 餓死者が出るほどの食糧難, 自分達が生き残るために必死で, 他人のことなど考えられなくなっていたような状況を作り出した戦争によって, 妹を亡くした兄の不幸を感じずにはいられませんでした. 今日見た感想は, 中学生の頃の自分もそうであったように, 14歳という年齢の兄の幼稚さと理想主義あるいは全能感と純粋さが, 妹と二人だけで生きるという誤った選択をした結果が不幸を招いたのだと感じました. 彼がもっと年少であれば, そんなことは考えつかなかったであろうし, もっと年長であれば, 上手くあるいはずる賢く立ち回れたのではないかと思います.

いずれにせよ, 戦争という究極の状況下で発生した不幸な出来事であったのは間違いなく, 戦争がない世界を希求し続けることは, 現代の私たちの使命だと考えます

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