手術日+486日目 2025/6/28(土)(叔父の納骨)

新潟県上越市へ

いつも通りに起床後, 朝食を済ませて, 叔父の納骨に参列するために新潟県上越市に向けて出発しました.

東北道, 磐越道, 北陸道を通って, 上越市に到着しました.

ランチは, 上越市の居酒屋『軍ちゃん 高田店』さんにしました. 11時半に入店しましたが, ありがたいことに空いていて, すぐに席に通されました. お昼は, 海鮮料理をランチとして提供されています. お昼時は, 予約はとっていないとのことでした. 今日は, メギスとアジがオススメですというので, どちらもいただくことにしました. メギスは天ぷらで, アジはフライにしてもらいました.

『軍ちゃん 高田店』さんのアジフライ.
肉厚で, ホクホクして, とてもおいしかったです.

アジフライは, 肉厚で, ホクホクとしていて, 脂ものっていてとてもおいしかったです. ノンアルコールビールで流しました.

『軍ちゃん 高田店』さんのメギスの天ぷら.
こちらも脂がのっていて, 淡泊な中にも味があり, フワフワでおいしかったです.

メギスの天ぷらは, 今が旬だけあって, 脂がとても良くのっていて, 淡泊ながら旨みがあって, とてもおいしかったです.

『軍ちゃん 高田店』さんの海鮮石焼き丼.

メインは, 海鮮石焼き丼にしました.

高田城址公園

上越市高田は, かつて高田市で, 父親が通っていた高校があります. 子供の頃に, 祖父と一緒に高田城跡に来たことがありましたが, うっすらと憶えているだけでした. 叔父の納骨が14時からで, 1時間ほど時間があったので, 観光することにしました.

高田城跡公園に来ました.

まずは, 桜の名所である高田城址公園に行きました. 昨今, 有名観光地はどこも外国人が大勢で辟易しますが, 桜のない今どきは観光客は自分達くらいで, ほぼいませんでした.

高田城の絵図.
徳川家による普請で築城されており, 大きな堀に囲まれた立派なお城だったようです.

極楽橋を渡って, 城跡を歩きました. 江戸時代に松平家の居城として, 徳川家による普請で築城されており, 大きな堀に囲まれた立派なお城だったようです. 明治時代に旧陸軍第十三師団の駐屯地になったために, 堀は一部を残して埋められてなくなってしまっていて, 往事の面影をしのぶのは難しい状態でした.

高田城のシンボル的存在の三重櫓.
時間がなかったので, 中には入りませんでした.

残っているのは, シンボル的存在である三重櫓だけでした. 中を見ることができるようになっていましたが, 時間がなかったので, ぐるりと巡って, 駐車場に戻りました.

日本スキー発祥記念館

日本スキー発祥記念館の入り口.

まだ時間があったので, 納骨する墓地のすぐそばにある『日本スキー発祥記念館』に行く事にしました. 明治44年(1911年)1月12日, 当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐が, 上越市の金谷山(かなやさん)スキー場において日本で初めての本格的なスキーの指導を行いました. これが日本のスキーの始まりです. 以後, 高田市はスキー産業も興隆し, 沢山のスキーメーカーがありました. 亡くなった叔父の弟の叔父も, 昔カザマスキーの工場でスキーを作っていました.

レルヒ少佐の立像と日本に最初にもたらされた1本杖スキー.
当時は, まだパラレルターン技術は開発されておらず, プルークボーゲンでターンしていたそうです.
日本に伝わった初めての1本杖スキーの用具と技術についての解説.
日本にスキーが伝わった頃のスキー板.
スキー普及のため, 将校の奥様方にもスキー技術の指導が行われました.
日本初の女性スキーヤーです.
オーストリアの天才スキーヤーであるシュナイダーが, スキーの前傾滑走技術を開発・発展させました.
パラレルターンが開発されたのは, 今から100年前でした.
ウェーデルンが開発されたのは, 今から80年前でした
日本最初のスキー雑誌『スキー』.
レルヒ少佐の執務室と遺品.
ご遺族から寄贈されたそうです.

館内には, 私と妻だけでしかいなかったので, ゆったりと展示を見て写真を撮ることができました. 日本のスキーの始まりから, オリンピックへの参加, スキー用具やスキー技術の発展などがコンパクトにまとめられていて, スキー愛好家にはとても興味深い展示内容でした.

大日本スキー発祥の地の記念碑.

記念館のわきの坂道を登っていくと, 大日本スキー発祥之地の記念碑がありました. 展望台のさらに奧の方で, 結構登るため, 汗だくになりました.

納骨式

クルマに戻って, エアコンを最大にして, 汗が引くのを待って, 坂を下りて墓地に向かいました.

すでに亡くなった叔父の奥様の叔母やスキーを作っていた叔父, 母親, 弟や従弟が集まっていました.

教会の共同墓地で祖母と一緒に叔父も眠ることになりました.

祖母もクリスチャンで, この墓地で眠っています. 亡くなった叔父は, 祖母と同じお墓で一緒に眠ることになりました.

14時に神父様が到着され, 納骨のためのお祈りをしていただきました. その後, 骨を納めました.

墓参り

スキーを作っていた叔父の奥様の叔母が働いているホテルに向かう途中, 母親がおそらくこれが最後になると思うのでと言うことで, 祖父の墓を参ることにしました. お花も準備してなかったので, 道端に咲いていた花を摘んで, お墓のそばに住んでいる叔父の家から線香をいただいて, 墓に供えました.

小学生の頃, 毎年夏休みに帰省していた祖父母の家(父親が育った家)は, お墓のすぐそばにありましたが, 水害で流されて無くなっています. 庭にあった竹藪だけが残されていました.

ヒルクライム練習

30分ほどクルマで走って, 『アパホテル&リゾート<上越妙高>』さんに来ました. ホテルへの道がずっと登りだったので, 自転車の練習によさげでした.

15時過ぎにチェックインしました. ホテルにゴルフ場が併設されていて, ロビーにはゴルファーのオジさんがたくさんいました.

客室でサイクルウエアに着替えて, クルマに積んできたロードバイクを出して準備した後, 先ほど登ってきた坂を下まで下りました. 雲が多くなって, 太陽が隠れたおかげで, 暑さは大分和らいでいました.

国際スノーボード&スケートボード専門学校』の前からホテルに向かって登りました. 今年初めての実走でした. 16時過ぎで, ホテルへ向かうクルマも少なく, 快適に登れました. 40分ほどで登りを終了しました. 時間があれば, もう1本練習したかったのですが, 17時前なので1本だけで終わりました.

自転車にかかった汗を拭いて, クルマに積み込んで, 部屋に戻りました.

洗濯

部屋に戻ると, 妻から夕食は17時半からになったと告げられました. 汗だくだったので, 大浴場には行かないで, 部屋のシャワーを浴びて, 着替えた後, サイクルウエアを洗濯しに行くことにしました. 妻は大浴場で入浴後, 先にレストランに行っていてと告げました.

宿泊しているホテルにはコインランドリーがなく, 近くに建っている別館(アネックス)の地下にコインランドリーがあるとフロントで聞いて, クルマで移動しました.

コインランドリーで洗濯機にウエアを入れたところで, 両替機がないことに気づき, 別館のフロントに行って, 両替してもらいました. 別館の方は, 宿泊客がいないようでした.

洗濯機に戻って, 洗濯を開始すると, 所要時間が29分と表示されました. 17時だったので, 食事開始には間に合わないと判断して, 妻にラインで連絡しました.

別館の地下には, プレイルームがありましたが, 使われていないようでした. また, すぐ隣に分譲マンションが建っていて, 地下でつながっていましたが, そちらも人気がありませんでした.

脱水に入ったところで, 洗濯機の中断ボタンを押して, 急いでクルマにもどって, ホテルの部屋に引き返しました.

部屋でウエアを干した後, レストランに向かいました. 17時35分でした.

宴会

レストランに着くと, みな席についたばかりでした. ビールで乾杯して, 近況報告を行いました. ここで, ビール4杯, 日本酒2合ほど飲んで, 長時間運転とヒルクライム練習の疲れも出て, 大分酔っ払いました.

雲が切れて, 妙高山の山容が見えました.

20時からホテルの外で太鼓の演奏があるというので行ってみました. 外に出ると, 雲が切れて, 妙高山の山容が見えました.

たき火が焚かれて, そのわきで太鼓の演奏がありました.

20時半前に部屋に戻って, 弟の部屋で叔父と弟達と4人でお酒を飲みました. 4合瓶が3本空きました. 最後の方は記憶が飛んでいて, 気がついたときは朝になっていました.

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