午前の病院での仕事
今朝も晴れていました. しかし, 気温は低くて, クルマの外気温モニターでは2 ℃でした.
通常通りに出勤しました.
昨日手術が行われた上腕骨頚部骨折の患者さんと鎖骨骨折後のプレートを抜去した患者さんは, お二人とも問題なく経過されていました.
8時から後輩医師と一緒に朝の病棟回診を行いました. 回診中に, 病棟の看護師さんから, 60歳代の入院患者さんが昨晩40 ℃台の発熱をしたとの報告がありました. 患者さんは, 大部屋から個室に隔離されていました. 特に症状はなかったのですが, インフルエンザと新型コロナの抗原検査などのオーダーを電子カルテに入院しました.
8時半から講堂でカンファランスを行いました.
8時45分から外来に降りて, 外来診療を始めました. 6人ほど診療したところで, 電話がかかってきて, 医学部の学生さんが来られたとのことだったので, 会議室に向かいました.
会議室で, 20分ほど病院実習について, 病院の紹介を交えて, ミニ講義を行いました.
9時半に外来に戻って, 午前中には33人の患者さんの診療を行いました. 途中で, 昨晩40 ℃台の発熱があった患者さんの検査結果を確認したところ, 尿に膿と細菌が出ていたので, 尿路感染と診断しました. 水を飲めないようなので, 輸液と抗菌薬を投与するように電子カルテにオーダーを入力しました.
整形外科クリニックから, 90歳代の大腿骨転子部骨折の患者さんを紹介したいという連絡が病診連携室に入りました. 手術部の空きを確認したところ, 空きがあるのが再来週の月曜日しかなかったので, 手術適応だとすると, 3月24日まで12日間待機してもらうことをお伝えしたところ, 他の病院を探しますという返答が来ました.
13時に外来診療を終えて, その後は介護保険の主治医意見書などの書類を作成しました.
13時40分過ぎに自分の部屋に戻ってランチを摂りました.
午後の病院での仕事
14時に外来に戻って, 午後は5人の患者さんの診療を行いました.
15時半から製薬会社の担当者と面談のアポイントメントがあり, 外来で面談しましたが, 担当の方が3月で退社されるので, その後任の方と一緒に挨拶に来られました. これまで3年間薬剤の情報提供や, 講演会のご案内, あるいは自分が講演会の講師となった際にお世話になった方でしたので, 少し寂しく感じましたが, 新しい職場でも頑張っていただくように, お伝えしました.
16時から明日手術を行う90歳台の大腿骨頚部骨折の患者さんのご家族に手術と輸血の説明を行いました.
16時半から後輩医師と一緒に夕方の病棟回診を行いました. 昨晩40 ℃の発熱があった患者さんは, 解熱していました. 入院患者さんは87人, 自分が主治医となっているのは49人でした.
17時過ぎに病院を出ました. 今日は, 最高気温が16 ℃だったようで, 暖かく感じました.
東日本大震災から14年
帰宅後, テレビを見ていると, 東日本大震災から14年経過したニュースが多く流れていました.
当時は, 大学病院に勤務していました. 3月11日は, 関連病院で勤務しており, 午後の外来診療中に大地震を経験しました. 直後に病院が休診対応となったので, 急いで大学病院に戻りましたが, 東北自動車道は通行止めとなっていて, 一般道路もひび割れなどで寸断されていたので, 通常1時間くらいかかるところが, 3時間以上かかりました.
19時前に大学病院に戻ると, 津波による被害で海沿いの地域から被災者が運ばれてくるための緊急体制となっていました. 退院出来る患者さんは全て退院させて, ベッドを空けて, あちこちから運ばれてくる患者さんに備えました. それから2週間は通常の診療を全て停止して, 被災者の骨折の手術などに明け暮れました.

引用元:三宅康史. 災害拠点病院におけるトリアージ. 昭和医会誌. 2012. 72.
海沿いの地域からは, 連日トリアージで黒タグ(無呼吸)を付けられて, 袋に入ったご遺体が多数搬入されました. 法医学講座の先生方の検死を受けるために, ロビーにずらりと黒い遺体収納袋が並んでいたのを今でも鮮明に思い出します.
自宅も被災して, 一部が壊れました. 罹災証明書を発行してもらって, 後日修繕しました. 水道, ガスも止まって, 復旧まで1週間以上かかりました. トイレが流せず, 近くの川からバケツに水を汲んできて, それで流しました. 風呂には1週間入れず, 1週間後にやっと家族を連れて温泉に入りに行きました.
大分, 記憶が薄らぎましたが, いろいろと思い出しました.
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