骨折歴について1(10歳時, 右脛骨骨幹部骨折)

うまのり

初めての骨折は, 小学5年生の時でした.

当時, 通学していた小学校では, 『うまのり』(他では, 『どううま』, 『ながうま』, 『ながうまとび』ともいうようです)という遊びが流行っていました. 昼休み時間になると, 級友達とこの遊びをしていました.

1975年7月の骨折した当日も昼休み中に体育館の脇で『うまのり』をして, 遊んでいました. 私は馬チームの方で, 屈んで前にいる友人の股に頭を突っ込んでいました. 相手チームの級友が, 馬を崩そうとして, 勢いよく後方から乗ってきました. 何とか重さに耐えていたのですが, さらに次の級友に乗られて, ついに重さに耐えかねて, 崩れるように転んだ際に, 右のすねに激痛を生じて, 倒れたまま動けなくなりました.

すぐに級友に呼ばれた担任の先生がやってきて, おぶって保健室に連れて行ってくれました. 迎えてくれた保健室の養護の先生の指示で, ベッドに寝かされました.

布団をかけてもらって, 痛みをこらえていたところ, 学校から連絡を受けた父親が保健室に現れました. 父親の顔を見た途端, とてもホッとしたのを憶えています.

骨折の診断とギプス固定

父親は自分をおぶって, 小学校から近くの総合病院に連れて行ってくれました.

google mapで調べたところ, 小学校から総合病院までの距離は850 m(徒歩13分)でした.

整形外科でX線写真を撮像された結果, 右脛骨が中央付近で骨折していると診断されました. 幸いズレ(転位)がなかったので, 手術は行わずに, ギプス固定を行っての治療(保存療法)をすることになりました.

小児の脛骨骨幹部骨折は, 成人に比べて骨癒合しやすく, 自家矯正力も働くため保存療法が原則となります.

小児(11歳)の脛骨骨幹部骨折に対するギプス固定による保存的治療の事例.
自分は変形することなく, 治癒しています

引用元 菊地. 小児脛骨骨幹部骨折の保存療法. 整形外科と災害外科. 2019. 68.

診察室の隣にあった, ギプス室という作業部屋のようなところに移動して, ベッドに寝た後, 足からふとももまでギプス包帯を巻かれました. そして, 木製の松葉杖を身長に合わせて, 借りました.

家に帰ると, 心配した母親が待っていました. 骨折していたことを告げて, すぐに布団に横になりました.

当時のギプスは, 現在のようなすぐに固まる軽いプラスチックギプスではなく, 石膏(日本語のギプスは, ドイツ語の『Gips』や『Gyps』に由来していて, その語源は, ラテン語の『石膏』や『石灰』を意味する『gypsum(ギュプスム)』です. さらにこのラテン語は, ギリシャ語の『gypsos(ギプソス)』に由来しています. というわけで『ブ』は間違っていて『プ』が正しい言葉です)でしたので, 巻いてからすぐは水を含んでいるため, 重くて軟らかく, 速く乾かす必要がありました. ギプスを速く乾かすために, ギプスの上から新聞紙を巻いて, それに水分を吸わせることになりました. 骨折後, ギプスが乾くまで数日は, 新聞紙を巻いて湿ったら新聞紙を交換してを繰り返しました.

骨折後の自宅での生活

骨折してから数日間は痛みのために, 布団から起き上がれず, 布団の中で過ごしました. 食事も布団のところで, 座椅子を使って食べました. 風呂には入れず, 体を拭いてもらいました.

最も困ったのは排便でした. 小便は, 布団の脇に一升瓶を置いておいて, それに用を足しては, 母親にトイレに流してもらいました. 大便の方は, 当時の家が和式トイレだったので, しゃがまないと用が足せません. 父親が板を買ってきて, それを日曜大工よろしく組み立てて, 座って用を足せる便座を和式トイレの上に作ってくれました. おかげでそれに腰掛けて用を足せるようになりました.

数日経って, 痛みが引いてきたので, 借りていた松葉杖を使って, 家の中を移動する練習を始めました. 松葉杖の使い方は, 父親に教わりました. 私が3-4歳の頃, 父親も蔵王温泉スキー場でスキー滑走中に転倒して脚を骨折したことがありました. ギプスを巻いて, 自宅で療養していた記憶があります. そのため, 松葉杖の扱いは慣れていました. 教わった後, すぐに松葉杖を使って, 右脚を浮かせて歩けるようになりました.

松葉杖で家の前で外を走ったり, 弟と野球(片脚で立ってバッティングしたり, 松葉杖を使って走ってベースを回ったり)をしたりできるようになりました.

骨折したのが夏場だったので, ギプスを巻いた脚のかゆみには悩まされました. 特に, 右のふとももの前辺りがとてもかゆくて, 菜箸を突っ込んで掻いていました.

幸い, 骨折してから, 間もなく夏休みに入ったので, 学校を休んだのは数日間でした. 1学期の終業式の日に, 骨折した自分に宛てて級友全員が書いてくれた文書を閉じた冊子を先生が持ってきてくれました. また, 夏休み前の全校集会で, 自分の骨折によって, 学校での『うまのり』は禁止されたことを教えてくれました. 楽しい遊びだったので, 自分の骨折のせいで禁止になったことについては, 申し訳なく思いました(大人になってから調べましたが, 自分と同じようにこの『うまのり』でケガをする子供は少なくなかったようで, 他の学校でも禁止になった事例が多かったようです).

7月半ばから, おそらく, 4週間くらいギプス固定していたと思います. この間, 父親は, ナント海水浴にも連れて行ってくれました. 今考えても, チャレンジだったと思います. もちろん, 海には入らず, 砂浜で遊んだだけでした. 砂浜を松葉杖を使って歩いているギプスを巻いた子供がいる風景は, レアだったと思います.

ギプスカッター流血事件と整形外科医を志した端緒

夏休み後半になって, 病院でX線写真を撮った結果, 骨折は治っていると言われて, ギプスを外してもらいました. この時に, 事件がありました.

ギプスを切る道具であるギプスカッターは, 刃が回転しているのではなく, 細かく振動しているので, 硬いものは切れますが, 軟らかいものは切れなくなっています. また, ギプスカッターの刃が皮膚に当たらないようにするために, 皮膚にはまず綿の包帯を巻いて, その上から石膏が染み込ませてあるギプス包帯を巻きます. 従って, ギプスカッターで皮膚が切れることは, 通常ありません.

しかし, 医師にギプスを切ってもらっている最中, どうにも右すねの外側が痛くなりました. 「痛い, 痛い」と訴えたのですが, 医師は, 「大丈夫, ちょっと熱くなるかもしれないけど, 切れないから」と何回も言われました. 「やっぱり, 痛い〜」と訴え続けましたが, 一向に聞いてくれませんでした. 果たして, ギプスを外されたところ, 右すねの皮膚が切れて, うっすらと出血していました. 「だから痛いって言ったのに」と涙ながらに訴えたところ, 医師から「ゴメンね. これは痛かったね」と謝られました. 幸い, 皮膚の表面が数cm程度, 浅く切れただけだったので, すぐに出血は止まって, 数日後にはかさぶたになって治りました.

この骨折とギプスカットの時の経験が, 将来, 自分は患者さんの訴えをちゃんと聞く整形外科医になろうと進路を考えた端緒でした.

ギプスを外した後

ギプスから出てきた右のふとももから足は, 白くて(海水浴など外遊びばかりしていたので, 他は日焼けしていました), すっかり細くなっていました. かゆかったふとももの前には, 菜箸で掻き壊した皮膚局面がありました. 右膝関節は硬くなっていて, 曲がりにくくなっていました. 医師からは, 「もう脚をついて歩いていいよ」と告げられましたが, 怖くて, 右足に体重をかけられず, 結局, 軽くなった右脚を浮かせて松葉杖をついて, 帰りました.

ギプスを取った後は, 毎日のように病院に通って, 右膝をホットパック(当時は蒸気で温めた砂袋)で温めてもらって, 筋肉のマッサージと膝を曲げる治療を受けました. 当時は, あん摩マッサージ師の方が病院に勤務していて, 現在の理学療法士のような立場で治療を行っていました. 10日くらいで, 膝が曲がるようになって, 松葉杖なしでも右脚に体重をかけて歩けるようになり, 和式トイレも使えるようになりました. そして, 無事, 2学期から学校に通学できるようになりました.

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